ヒーラーになったきっかけ |
私には肩書きは何もありません 私には肩書きは何もありません。過去の人生の中で様々な精神的肉体的な苦しみや痛みを経験し、生きるのは辛いことだと思いながら人生を送ってきました。運が悪かった事や、様々な失敗や間違い も経験しました。障害や困窮など数え切れない問題や苦難も味わって来ました。 |
幼いときの記憶 幼い頃は線が細く口数も少なく小さな声で話していました。友達は小さな虫たちや草花、お空の雲でした。 まだ、4〜5歳の私は元気に走り回る子供たちの姿を見て「どうして、あんなに元気に走り回る事が出来るのか?どうして、あんなに大きな声が出るのか?どうして、何がそんなに楽しいのか?」自分とは違う、他の子供たちを傍観していました。 ひ弱でいつも身体が怠く、走り回ることなど出来ず、子供らしくない日々を送っていました。体温が36.7℃もあれば怠くて動くことすら出来ませんでした。そんなとき父が私の頭を揉んでくれたり背中や腰・手や足をさすってくれたりして大変心地よかったのを今でも忘れません。 |
夫の結核 結婚して三女が生まれて間もない頃、夫の仕事が変わりました。新しい仕事が軌道に乗るまでは 大変厳しい状況でした。 1986年の夏。夫は夜中の0時頃に床に入いると、ひどい咳が出てぐっすり眠ることが出来ませんでした。結核かも知れないので病院に行くように 勧めたのですが、頑固な人でとうとう行ってくれませんでした。 その間私は夜中の3時頃まで夫の背中に手を当てていました。手を当てているとすぐに咳は止まりませんでしたが、いつの間にかすやすや休んでいました。そんな夜がどれ程続いたか期間は、はっきりとした記憶がないのですが、いつの間にか咳も収まって忘れていました。 |
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それから1年ほどして健康診断の時に、お医者様から「結核はいつ頃、罹病されましたか?」と質問されたそうです。結核の病巣は一生残るのだそうです。 しかし、本人は「結核は患った事はありません。」とただそれだけ答えたそうです。 振り返ってみればあの時以外には考えられませんでした。私は何か不思議な感じを受けると共に自分の両手をつくづく眺めたものでした。
夫の痔瘻 それから2年ほどして、夫は 痔を煩いました。今度ばかりは肛門が痛くてたまらず座ることも出来なくなり病院に駆けつけました。痔瘻と宣告されて手術以外は治らないと言われたそうです。 |
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私はその日から手術日まで毎晩とまでは行きませんでしたが、夜床につくとお尻と首の付け根、背骨の頂点のあたりに1時間ほど手を当てて寝ていました。手術の当日「何だかもう痛くなくなった!」と言 っていましたが、とにかく先生の言うとおり手術を受けに行きました。 ところが、夫は少しも痛そうな顔をせず、いつもと変わりない様子で帰ってきました。 「痛くないの!?」か心配して聞いてみると、先生から「もう治っているから手術の必要はいらない。」と言われ手術をしなかったのだそうです。私は考えるともなく又自分の両手を見ていました。 |
長女の網膜剥離 それは突然やってきました。1998年長女が職場から「今から帰るから迎えに来て!」と声を震わせて電話をしてきました。 突然「眼に鋭い痛みが走って、急に眼が見えなくなった」というのです。職場の計らいで救急で、病院に連れて行って戴き、診察を受けたところ、お医者様から「失明する可能性が高い」「今までのような視力に回復する見込みはない」と言われたという 事でした。 娘を家に連れて帰り、一生懸命神様に祈りました。「助けてください。」と!そして、その時に私は無意識に手を娘の眼と後頭部に当てていたのです。どれ程の時間そうしていたのか覚えていません。 明日は私が病院に付き添うことにしてやすみました。娘がよく寝ているか何度も寝床を覗きにいきました。ぐっすり寝ているのでひと安心しましたが、私は心配で夜通し大いなる宇宙の神に祈り続けました。 翌日の朝、目の見えなくなった娘にどの様な対応をしたらよいのか、自分の心の動揺を抑えながら「娘の眼が少しでも見えるようになります様に!!」と神に祈りながら娘 が起きてくるのを待っていました。ところが起きてきた娘は、「目が見える」「痛みもない」「昨日のことが嘘のよう」と言うのです。 2人で涙を流して抱き合いました。 病院の先生は「網膜があれ程剥離していたのに治っている」「奇跡としか言いようがない」と言われたそうです。神様ありがとうございます。 |
ある日、本屋さんで 子供が小さい頃は具合が悪いというとそこに手を当てて「いたいの、いたいの、とんでいけ〜」と呪文をかけるように言ってさすったり、時には熱が下がらず困った時、真冬の寒さの中で氷水に手を浸して冷たくなった手をおでこに当てて熱を下げたりしたことがありました。 両親も私をこの様にして育てて下さったのだと子育てをしてやっと親の恩を知りました。 |
そして、自分が大病したときは身体の辛い部分に手を当てることすら気がつきませんでした。 今から15年前に実母と同居するようになって、何時までも健康で長生きして欲しいと思い、 又家族が健康で仲良く幸せに暮らしていきたいという思いで生きていました。 そんなとき書店で「光の手」という本に巡り会って、今まで不思議に思っていた手のことが「ハンドパワーのエネルギー」だったのだとやっと腑に落ちたのです。 |
ある日、テレビのニュース番組で 身体のツボを使ってマイナスの感情を消し、心的ストレスやトラウマを取り去るという方法がアメリカで効果をあげていると、ニュースの特別番組で行っていました。それも簡単な方法でしかもわずかな時間でネガティブな感情を解放できると言うのです。 「そんなに簡単に人の苦しみが取れるなんて…!?」信じられませんでした。しかし、それが本当なら素晴らしいと興味を持ちました。 その後、だいぶ経って、誰でも簡単にできる療法に改良開発されたEFTを知ることとなりました。それからの私は不安なとき、辛いとき、悲しいとき、困難に直面したとき、これから起きるであろうストレスを回避するため…ありとあらゆる事にEFTをつかってきました。 自分の人生を自分自身で切り開いて行くことが出来る素晴らしい方法を手に入れたのです。 人生を安心して楽に生きていける。 自分の望みを引き寄せることが出来る。 身体も心も魂も豊かに生き生きと輝いて生きて行くことが出来る。 本来の自分自身に戻ることが誰でも簡単に出来るのです。 そして このEFTとレイキ療法を使って、多くの方のお役に立ちたいと思い現在に至りました。 |