花からの伝言

 

                        2008年 9月

我が家の花にまつわるちょっと 

            不思議な話を紹介させていただきます。

              

今の家に引っ越してから、叔父が可愛がって育てていたピンクの薔薇の花の苗を、分けていただきました。しかし、日当たりが悪くて毎年2〜3輪の花をつけるだけでした。

母の88歳の米寿の祝いをした翌年、叔父が体調を崩し亡くなるまでの6ヶ月間、水曜日にヒーリングをするために叔父の家そして病院へ通いました。

   介護の甲斐無く叔父は亡くなりましたが、その翌

   年叔父から貰ったピンクの薔薇が、7輪も大輪の

  花を咲かせてくれたのです。 
   そして、1輪1輪の花がみんな1ヶ月も咲き続け、

   なんと2ヶ月も美しい見事な薔薇を、楽しませてく

  れました。まるで叔父さんからプレゼントを戴いて

  いるようで嬉しくて、薔薇の花を見ながら「叔父さ

  んありがとう!」と感謝の気持ちでいっぱいになり

  ました。翌年からは、また今まで通りピンクの薔薇

  は2〜3輪の花を咲かせてくれています。

弟を亡くした悲しみ、その他の様々な苦しみは母には耐えられなかったのでしょう。その後アルツハイマーを発症してしまいました。

昨年の春、不思議な出来事がありました。長いこと庭の片隅の鉢の中で細々とわずかな花を、付けていた一株の桜草がどうしたことか裏庭一面に沢山の芽を出したのです。1株1株はみな小さいけれど30株以上の可憐なピンクの桜草がそれはもう綺麗に咲き乱れていました。こんな光景は見たこともありません。まるで桃源郷のようでした。母と毎日眺めて心豊かな時間を過ごすことが出来ました。

しかし、アルツハイマーとの戦いは、壮絶なものでした。バスに乗ってどこかへ行こうとする母を見つけ、大きな横断歩道の十字路の信号を無視して、両手を大きく上に振り上げながら「止まってくださ〜い!」と…。大型バスもトラックもタクシーもみんな止めて斜めに横断したりして…!どなたもクラクションも鳴らさず私が走りすぎるのを待っていて下さいました。お陰で、すんでの所でバスに乗る母を

止める事が出来ました。何度も警察のお世話になったり大変な思いをしましたが、家族みんなで協力して何とか乗り越えてきました。

しかし昨年の11月1日、母は誤飲による重症肺炎と酸素欠乏症のため緊急入院となりました。

お医者様は「敗血症の疑いがあり、今すぐに危険な状態、退院の見込みはない、危篤の状態である。」と言われました。

私は毎日付き添ってヒーリングしました。 見る見る体調がよくなり、5日目に大部屋に移ることが出来たのです。6日目からおもゆが出され、7日目から普通食となりました。

しかし、誤飲してしまうためなのか、食べるのを嫌がって、「早く家に帰りたい!」とそればかり言っていました。そして、12月6日にやっと家に連れて帰ることが出来ました。

家に帰るとホッとしたようで、入院中の厳しい顔が温和な優しい顔になりました。昔の写真を見たり、懐かしい歌や心地よい音楽を聞いて穏やかに過ごすことが出来ました。母の部屋の掃き出し窓を開けたところに、わずかですが草花を植えています。

そこには毎年夏にひょろひょろと何本か枝を伸ばして4〜5本の花を付けて金魚草が咲くのですが、夏になっても花は咲きませんでした。ところが、どうしたことか12月だと言うのに太くて立派で丈夫な木に24本も枝を付け真っ赤な花が満開なのです。母はベッドの中からじっと金魚草を眺めていました。

そして、その日もしばらく金魚草を眺めていましたが、その後、眠るように息を引き取りました。
花の大好きな母の最後を彩るような満開の花たちでした。

母は頬も踵も生前と変わりなく皮膚の弾力があり

柔らかくて死後硬直がありませんでした。いつもと同じように眠っているようで、今にも「おはよう!」と言って起きて来るのではないかと思うほどでした。

同居するために引っ越してきた時、母は大事にしていた植木を何本か持ってきました。

そのうちのひとつ、ゆずの木はここ何年かひとつふたつ実をつけてくれるようになりました。

そして昨年の12月、母の最期の時に18個も実をつけていたのです。

梅の花も毎年数えるほどしか咲きませんでした。母があの世に帰った初めての正月に枝いっぱいにみごとに咲かせてくれました。

そして7年前に母の日にプレゼントしたグミの木も毎年7〜8個の実をつけるだけでしたが、なんと小さな枝に小さな小さな細い白い花を沢山つけているのです。虫の卵か何かと思ったほどです。そして89個の実をつけてくれました。グミの実がこんなに酸っぱいものだと初めて知りました。

母が天国から感謝の気持ちを送って下さっているとしか考えられませんでした。お礼を言わなければならないのは、私たちです。感謝の念に堪えません。「ありがとうございます!」「お母さん」

年が明けてから、長年の寝不足がたたって私は体調を崩していました。
そこへ娘が彼からプロポーズを受けたという朗報が入ったのです。彼がご挨拶に来て下さり、その後、両家の親を交えての食事会。そして結納と続き、あっという間に結婚式の日を迎えました。
その6ヶ月の間、母を失った悲しみを忘れさせてくれ、娘の晴れの門出のことを考えていられた私は大変幸せでした。 娘がプロポーズを受けたのがちょうど桜草の花が咲く季節でした。昨年の春、満開の

花を見せてくれた桜草の花を、今年もまた見られるものと楽しみにしていました。しかし、どういう訳か桜草は何処にも見あたりません。

長い間何年も細々と咲いていた鉢にも葉っぱ一 枚出てきませんでした。桜草の花も金魚草の花 も母の93年間の人生を労い最期を彩るために母を祝福したくさんの花束をプレゼントしてくれた のではないでしょうか。

ところがよく見てみると、引っ越ししてから15年間、植木鉢の中でちょろちょろと葉を伸ばし、花も付けなかったブライダルベールの葉っぱが伸びているではありませんか。

玄関の前でアイビーやゼラニュウムの鉢を50センチも覆っているのです。

日を追うごとにブライダルベールは伸び続け1メートル80センチにもなりました。

何よりも驚いたのは前年に桜草が満開だった裏庭に、ブライダルベールがまるで絨毯を敷きつめたように繁茂しているのです。幅は一番広い所で1メートル、長さは何と5メートル以上にもなっているのです。小さな白い花は控えめで少し暗くなるとつぼんでしまいますが、雨上がりの太陽が照らす光で輝いて宝石のようです。

孫の結婚する姿を見ることが出来なかったお婆ちゃんが、まるで若い2人を 天国から祝福しているかのようです。

神様はなんてオツなことをなさるのでしょう。